ストリートコートからコモンズを考えてみる
2026-09-13
前回、コモンズ理論についての考察を書いた
今回はその理論を、私が実際に週末の朝によく行く代々木公園のバスケットコートに当ててみる
先に断っておくと、これは代々木公園への具体的な行政アクションや合意形成を目的とした文章ではない
あくまで一つの事例を通して、自分の中に一般化できるモデルを組み立てるための思考実験だ
二つのコートの週末の朝
代々木公園のバスケットコートは二面ある、道路沿いがAコートで奥側がBコートだ
私が行く週末の朝のコートの様子はこんな感じだ
Aコートの半面がピックアップゲームで埋まっている、白人もアジア系も日本人も混ざっていて、プレーの強度はかなり高い
残りの半面とBコートはフリーな感じで、仲間内でゲームをしていることもあれば、黙々と個人練習をしている人もいる
私も個人練習をしていることが多いけど、声をかけられて2on2や3on3に混ざったりする
週末の朝はゴミや吸い殻が結構散らかっていて、なんとなく集まった人でゴミ拾いをしてから練習を始める
isoさんという代々木のピックアップのハイライトをインスタに上げている方がいて、自分でもプレーする方で、朝から来ている
私も一度、isoさんと一緒にゴミ拾いをしたことがある
ハーディンの牧草地と決定的に違うのはここだ。このコートには会話と歴史がある
炎上
去年、ここで炎上が起きた
中学生が「オトナがコートを独占して使えなかった」とTikTokに投稿し、それが拡散した
代々木のコートを利用したことがある人であれば言いたいことはあるだろう
ピックアップコートで利用するのは主にAコートだし、ピックアップゲームには順番待ちや勝ち残りのルールもある
声を掛ければ簡単に混ざれるし、仲間内で使いたければBコートも空いていただろうと思う
しかしその対話は行われずSNS上への投稿が炎上してしまった
オストロムの言葉で言うと、これは原則1(境界=誰が正当な利用者か)と原則3(集合的選択=ルール改定に誰が参加できるか)の失敗が露呈した瞬間だった
常連の非公式ルールは、常連にとっては秩序だが、外から来た中学生にとっては見えない壁だ
彼はそのルールの存在を知らず、形成に参加する回路もなく、ただ排除された
SNS上の反応は、思ったより「自分ごと」として突き刺さって、事態をフォローしていた
行政による管理を求める声もあれば、外国人ヘイトのような声も混ざっていた、プレーしている外国人が悪目立ちして槍玉に挙げられている投稿もあった
正直、いや、外野が何を、という気持ちが先に立った
境界が暗黙で、加入と発言の回路が常連に偏る、これが非公式なコモンズの構造的な弱点だと思う
ただ、その弱点を突く言説自体が、当事者ではない外側から降ってきたのも事実だ
二択に回収される
炎上後の議論は、あっという間に二択に回収された
行政が時間予約制にしろ、というのと、自分達の自治を強調する、という方向だ
前者はSNSでよく見た議論だ、時間制にして予約できれば平等に使える、という考え方だ
オストロムを学んでいて40年前に反証した二択に、令和のTikTok炎上が寸分違わず着地したのを見て、オストロムが扱っている問題の根深さを痛感した
理由は分かる気がする。非公式なコモンズは平時は優雅に回るが、可視化された対立が起きたときにフォローが効かない
悲劇=炎上は明快で拡散力があるのに対して、自治の実態は暗黙で言語化されていない、この非対称性のせいで、言説は必ず二択に流れていく
「自治を見せよう」という声
2026年春のALLDAYのイベントでも、この炎上のことが言及されていた
その場でアンケートが取られて、Mamushiさんが「自分たちで自治できるって見せようよ」、キッズのピックアップゲームでは「顔をしっかり覚えてコミュニケーションをとろう、ストリートコートではそれが大事」と言っていたのを覚えている
正直に言うと、その後この話がどう転がったのかは追えていない
ただ、外から二択を押し付けられる前に、内側から「自治できる」という証明を試みようとした人がいたこと自体は、覚えておきたいと思う
端っこの一員として
私はそのコートの常連というほどでもない。休日の朝に行く、末席の一員くらいの自覚だ
この場所のカルチャーが好きで、ALLDAYのイベントも好きで顔は出すが、コートの中心にいる人間ではない
それでもゴミ拾いを朝isoさんとしたり、ボールを持ってきていない人に声をかけて一緒にプレイしたりする
中心でもないし、完全な部外者でもない、その中間の距離感だ
中心にいる人には自分たちの秩序が自明すぎて見えないものだし、完全な部外者は実態を知らないまま二択で語ってしまう
両方が見えて、どちらの代弁者でもない位置にいると、炎上の構図がわりと立体的に見えてくる
統治レジームという考え方
ここからが私なりのモデル化だ
従来のコモンズ論は「一つの資源を一つの状態」で語りがちだけど、都市のストリートコモンズは一日のうちに何度も状態を渡り歩く
軸を二つ立てよう、需要と供給の比率と、統治がどれだけ能動的に起動しているか
朝の空いている時間帯は、需要が低いので統治は要らない、ただ流れているだけで平穏だ
僕はこの時間帯が心地よい
逆に人がいないのに予約制でガチガチにするのは過剰統治で、これは二択のうち「予約制」を導入すると陥る状態だと思う
需要が高いのに統治が起動していない時、これが問題が起こりうる状況で、炎上はこの状態で起きた
需要が高くて統治もちゃんと起動している状態がイベントの秩序で、これはAコートの昼間やALLDAYのイベントで実際に見る光景だ
過剰統治の実例は、身近にある
都内の区立体育館をバスケットボールで利用しようとするとハードルが非常に高いことがわかるだろう
まず利用手続きのために身分証を集め、利用の何ヶ月か前から利用枠の抽選に申し込み etc...
すでに定期的な活動をしているチームや、借りやすい体育館があるチームは良いが、ふらっと仲間とバスケをやろうとしてできる感じではない
公園内の屋外区立コートにも予約制のものがいくつかあって、御茶ノ水の小川広場などがそうだ
こういったコートは空いていがちだけど、ピックアップや1on1で知らない人に声をかける文化にはならない
ただ、これを一概に否定はできない、私がよく行く区のコートは、予約制ではないが黙々と個人練習している人が多くて、ここはここで需要のバランスが取れていて居心地がいい
「過剰統治=不毛」と決めつけるのは雑で、正確には価値のミスマッチの話だ
代々木の価値は偶然の混ざり合いにあって、それを予約制に置き換えると今の場所ではなくなる、というだけであって、予約制のコート自体が劣っているわけではない
起動役はいる、誰も一歩を踏み出さなかった
この炎上は「起動役の不在」では説明できない、自分の実感に照らすと、それは正確ではない
起動役は、いる、Aコートの昼間なんて特にそうで、フォーマットはほぼ完成している
そこらへんをうろついて誰かに聞けば、列待ちのルールを教えてくれるだろう
炎上の場面で本当に起きたのは、起動役の不在ではなく、双方が一歩を踏み出さなかったことだろうと予想している
中学生は話しかけなかったし、中の人たちも、コートの向こうの中学生たちに話しかけなかったのだろう
そこらをうろついているだけで会話に混ざれる、という暗黙のプロトコルは確かにある、でもそれは、その一歩を自分から踏み出せる人にしか機能しない
制度としての起動役は存在していたが、それを「初見の部外者」に向けて起動させる者はいなかった、というのがより正確な言い方だと思う
統治が価値を減少させる領域
配分の効率とは別に、コモニングの経験の質、という軸もあると思う
初対面の人と混ざる偶然性、国際色、一本のゲームで近づく距離、そういうものだ
たとえば、ボールを持たずにふらっと来た人がいて、「一緒にやろうよ」と誰かが声をかけて、そのままゲームに混ざるというのは自分自身も何度かある
これを完璧な予約制に置き換えたら、この偶然性は真っ先に消える
厄介なのは、この軸が配分の効率と時々逆相関することだ
完璧に公平な予約制は配分効率を最大化するけど、偶然性とゆるさをなくす、朝の「余っているから誰でも混ざれる」という非効率さこそが、あの経験の質を生んでいる
だから正確には「統治を強めると価値が減少させる」という単純な話でもない。どの経験の質を優先するかによって、最適な統治の強さは場所ごとに変わる
黙々と個人練習したい区のコートやチーム単位で押さえる体育館は、それに見合った統治の強さがあっていい、代々木の最適解が、たまたま今のゆるさに近いところにあるだけだ
状態依存の最小介入
最終的にたどり着いたのは、統治を最大化することが正解ではないという結論だ
需要と供給の緊張感が顕在化する混雑時にだけ、経験の質をなくさない最小限の統治を起動する、状態依存の最小介入、とでも呼べるだろう
二択、つまり自治か、行政による管理かは、本来は状態に応じて変わるべき統治を、常時固定のレジームで上書きしてしまい、測れない価値の層まで巻き添えにしてしまう点にある
炎上で本当に欠けていたのは統治の仕組みそのものではなく、その仕組みを部外者に向けて開く一歩だった、という理解は、この結論ともつながる
仕組みを作ることと、それを開くことは別の仕事だ
OSSでも似た構造を見る。ある程度中で安定して回っているコミュニティに、外部から人が入ってくるタイミングで、大体燃える
自分が作っているOSSはそもそも外から人が来るほど育っていないけど、逆に個人開発プラスアルファくらいの規模のOSSにPRを送る側に回ることはままあって、その体験が一番心地いい
中の起動役が、外から来た自分に向けてちゃんと開いてくれている感じがするからだと思う、IssueにコメントをくれてPRをレビューしてもらう中でコンテキストが共有されていく
代々木のコートでも、本当はここが再現できるかどうかの話なのだと思う
→ 共有地とコモンズ